超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


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本当の「私」なんて無いと思っている。

本当の「私」なんて無いと思っている。


今日は夜からクラッシックの演奏会に行ってくる予定なので、午前中にブログを書いている。日曜日の午前に、軽くコーヒーでも嗜みつつブログを書くというのもなかなかオツで良いものであろう。


しかし、起きて朝飯を食い、それからブログを書いてるだけなので、特に日常ネタで書くべき内容というのはない感じなんだよな。ブログの毎日更新というのは常にネタ切れとの戦いのところがある。


ネタ切れ対策の方法というのはいくつかある。一般的な方法としては、常に意識の片隅にブログ執筆があることを残しておき、何か書けそうなネタを思いついた時はすぐに下書きにメモをするのである。


こういう方法も「いいなー」とは思うんだけど、僕の書き方というのは違っていて、「時間になればエディターを立ち上げて、意地でも2000字書く」というやり方でやっている。


先日、糸井重里さんが「今日のダーリン」で書いていた毎日更新の方法だけど、それも大体僕とおんなじような方法だった。どれだけ苦しくても、書こうと思えば書けるものなのである。頭をギリギリまで絞り尽くしてもう一滴も出ないと感じる時でも、エディターに向かい無理やりでも書き始めれば書けるのだ。


ブログの毎日更新に限らず物事にはそういう側面がある。何かをやり始めるまでが一番時間がかかるのだ。ブログだろうが小説執筆だろうが筋トレだろうが、始めるまでは億劫だけど、一旦やり始めれば体が動き始める。これは心理学的には「作業興奮」というやつだろう。


仕事などの先送り癖の対策も同様だ。どうも億劫で目の前の仕事をやる気がしない時は、すぐさまスマホでタイマーを5分だけ設定して、5分だけ仕事を始める。そして、5分後にアラートがなった時に仕事を続けるかまたサボるか決める。まずは手を動かして考えてみることが大事である。


まぁ、そのほかにも細々としたテクニックはあるんだけどね。ブログの毎日更新で見つけた習慣化のコツとしては、毎日決まった時間に決まったルーチンで同じ習慣をやる癖をつけておくと、心理的ブロックが減る。僕は毎日20時から21時にかけて一時間で2000字のブログ書くと決めている。今ではこれは歯磨きと同じ習慣であり、何の意気込みもせずにブログを書くことができる。


「私」というのは何なのだろう? と僕はたまに考える。どうも僕は根本的なところでは人間に自由意志はないと考えている。


人間は意識の方でさまざまなことを考えてるように感じるが、それは脳内の化学物質の揺らぎであり、そこには自分が信じてるほどの価値はない。「私」とは何かと考えたりするけど、それは今までの過去のエピソード記憶と周りの承認が生み出した幻のようなものだ。


僕らの考えている「私」というのはものすごく重要で、かけがえのないものに感じるかもしれないが違う。どこか違う街に行き、そこで交通事故で記憶を失うなどすると、生きていても「私」は無くなる。


たとえば有名な哲学の思考実験では「沼男」の実験がある。


ja.wikipedia.org


詳細はリンク先のWikipediaを読んでもらいたいのだが、ある男が沼の近くを歩いてる時に雷が落ちて跡形もなく死ぬ。その時、沼の物質が化学反応を起こして男を完璧に再現したコピーを生み出す。そのコピーは死んだ男と全く同じ記憶を持っており、コピーは男が住んでいた家に帰っていき今までと同じ生活を始める。さて、この男は死んでいる? 生きている?


「私」とは何なのかを考える上でヒントになると思う学説は、前野隆司教授の「受動意識仮説」もある。受動意識仮説とはこのようなものだ。


www.youtube.com


簡単に説明すると、人間は何か行動を起こすときに意思で何かをやろうと思い行動を起こすのではない。行動を起こすときは無意識ですでに体を動かすパルスが送られており、人間の意識というのはそこに後付けで意味付けを行ってることが判明した。


人間の意識、つまり「私」というのは、何かをやりたいと思ったりとか色々と考えて行動を起こしてるように思うかもしれない。だが、実際のところは、脳が勝手に刺激や環境に合わせて行動してることに対して、あとから「私はこう思って〇〇をやった」と意味をつけて納得してるだけなのである。


じゃー、人間の自由意志というのは何なのか? と問われることになる。他の動物と同じように環境の刺激に対する欲求だけに合わせて刹那的に生きてるようでは、現在のような文明は築くことができない。


最近の研究だと、人間の自由意志というのは、脳でこうやって生じた衝動を観察して、その行動を止めることができる力らしいね。


たとえば脳で誰かを殴りたいという衝動が生じたとする。まぁパワハラ受けてるサラリーマンなんかはよくあるかもしれない。理性がない動物なんかはそれをすぐにストレートに行動に移す。だけど、人間は過去の記憶と照らし合わせたりなどして、その行動を止めることができる。自分の意思で行動を始めることはできないけど、衝動による行動を止めることはできる。これが人間の自由意志の正体である。


日々の生活の中でブログを書き続けたりなどの習慣を作るのも、こんな感じで人間の性質を理解してたらやりやすいんだよね。根本的に人間というのは意思の力で何かを成し遂げようと思うのは不可能。何かのモチベーションが生じたときに周りの環境を変えたりして、その行動をやりやすくなるように環境のパラメータの方を調整する。僕がいつも言ってる「根性よりも仕組み作り」というやつである。僕はエンジニアで理系だからこっちの考え方の方が馴染むんだよね。

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