ドストエフスキーの「罪と罰」を読了した。
「罪と罰」はすごい小説だった。
ここしばらく、オーディオブックでドストエフスキーの「罪と罰」を聴いていたのですよ。昨日、ようやく全部聞き終わったので、感想を書いておくかと思った。いや、なんか思ってたよりずっと良かった作品なので、これは古典として広く読みつがれるのも納得だなと感じた。
ちなみに聴いてたオーディオブックはこのバージョン。
- 作者:ドストエフスキー
- 発売日: 1999/11/16
- メディア: 文庫
- 作者:ドストエフスキー
- 発売日: 1999/12/16
- メディア: 文庫
- 作者:ドストエフスキー
- 発売日: 2000/02/16
- メディア: 文庫
なんかね、確か大学生ぐらいのときも「罪と罰」は読んだことがあったはずなのよ。でも、内容を全く覚えていない。今回、改めて読み返してみると、こんなすごいスリリングなお話だったのかと感心してしまった。しかも、内容的にも深くて滋養に溢れた物語だ。
すごいすごいと連呼していても作品の良さは伝わらないので、細かく自分が凄いと感じた理由でも述べてまいろうか。
登場人物が全員、ちゃんと地に足をつけて生きている。
物語のあらすじはwikipediaに載ってるので、そちらを読んどいてもいいだろう。無論、読んだことなくてネタバレが嫌だと言う人は避けるべきだが。
この本はあらすじだけを読んで理解できる作品じゃない。ドストエフスキーという作家は、ひたすら緻密に内面描写やら情景描写に長広舌を振るう。人間の心情を、冷徹な観察眼で見抜いてしまい、それを心の襞を丹念に丹念に描写していってしまうのである。
簡単なあらすじを話すと、ラスコーリニコフという青年が、金貸しの老婆と義妹を殺してしまって、その罪の意識に苛まれるという風なお話なのだけど、そこにラスコーリニコフの妹のドゥーニャが結婚のために上京してきたりなど、複雑に物語が入り組んでいく。
だけども、登場人物の全員が、過去と思惑を持っていて、展開は一筋縄ではいかない。作中の中で一番の小物であるドゥーニャの婚約者のルージンでさえ、ちゃんとした過去のバックグラウンドが描かれていて、自分なりの信念をもって動いていることが分かる。
終わった人間の行き着く先。
登場人物の中で特にカッコいいと思うのが、予審判事のポルフィーリとラスコーリニコフのライバル、スヴィドリガイロフだ。
この二人の人物は陰と陽のような関係性で、ポルフィーリは心理学を使ってラスコーリニコフの罪を暴いて、追い詰めるものの、なんとか未来に向かって生きさせようとする大人。スヴィドリガイロフは、享楽に浸って堕落しており、興味本位でラスコーリニコフの罪を暴き立てて、ラスコーリニコフに同族の雰囲気を感じて堕落させようとしてくる。
ポルフィーリは、ラスコーリニコフに自首をすすめる際に、自分は終わった人間であると言った。ラスコーリニコフを心理的に揺さぶって痛めつけはしたものの、最後はラスコーリニコフが自らの罪の重さで壊れていこうとしているのを自分と同種の人間と認め、止めようとした。
スヴィドリガイロフは、偶然、ソーニャとラスコーリニコフが殺人について話しているのを聞いてしまう。しかし、本人はそれを面白がるだけで、とくに警察に密告しようなどとしない。罪の意識に苛まれているラスコーリニコフの心情を弄んで、自分の目的のための手駒に使おうとする。
このポルフィーリとスヴィドリガイロフは、ともに終わっている人間であると思うのだが、ラスコーリニコフの将来性を認め、導こうとするポルフィーリに対し、スヴィドリガイロフは、ラスコーリニコフを人間として堕落させて、狂気の中へ追い込もうとする。
このようなスヴィドリガイロフであるが、実はラスコーリニコフの妹、ドゥーニャの愛を支えに生きているだけだった。結局、全てを失った彼は、享楽に浸っても満たせない生きる意味を見失ってしまいピストル自殺してしまう。
このふたりの生き様をみて、僕はカッコいいと思ったのである。
ソーニャは結局、ラスコーリニコフを救えたのか?
ラスコーリニコフは、裁判でも裁けなかった自分の罪に、煉獄の苦しみを味わうことになるのだが、シベリアまで付いてきたソーニャへの愛に気が付き救われるという風な結末になる。しかし、これ、僕はソーニャの心境がよく分からなかった。
ソーニャは確かに献身的にラスコーリニコフに尽くしてはいるものの、その心情ははっきりと明かされていなかった気がする。友人だったイワーノヴナを殺された恨みから、ラスコーリニコフの信念を折るためにストーカーをしていたのではないか?という気もしなくもない。
ポルフィーリにもスヴィドリガイロフにも折れなかったラスコーリニコフの自負心を、最後にソーニャが愛で砕くことで罪の重さを自覚させてしまったのではないかと思う。
物語の最後は、青年が更生していくまでの物語であると締められるけど、ラスコーリニコフが幸せな人生を送ったかまでは描かれなかった。