超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


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僕は神話や神様についてはこんな風に考えるね。

僕は神話や神様についてはこんな風に考えるね。


気力は回復傾向。今日は夜は筋トレでトレーニングをしてくる。始末しないといけないプライベートの事務作業があるので、そちらは早急に今日中には対応する。


ちょっと、今年のうちにやっておきたい趣味の作業を色々と整理して無理のないペースに再編しないとならんな。思いつくままに全力全開でぶつかろうとしたところ、年始早々に潰れかけた。相変わらず自分の限界というのを把握しきれてないらしい。


今週はどうにも無気力でアンニュイな感じであり、いろんなことに頑張ろうという気力が薄い。しかし、プログラミングにせよ、小説執筆にせよ、ちょっとづつ手がけてコツコツと積み上げないと終わらないので、回復してきた時点でやるべきプランを考え直そう。


ひとまず、今月は僕がメモをするために使ってる「ScrapDiary」のビルド環境を再構築するのを完了させよう。MacBookを大五郎に壊されて放置しているうちに、Flutterのバージョンが上がってたりとか使ってるライブラリの整合性が取れなくなってるのでビルドができなくなってるのである。あと、iOSのアプリをビルドしようと思うと、apple developerの証明書をマシンに登録しないといけないなど、やることが多いのだ。


小説の方もぼちぼちと開始するようにしないといけんな。玲と真輝のシリーズの一作目の「ナナシノユウレイ」について、文章の書き直しをやろうかなと思うのである。すでに刊行済みの作品であるからストーリーのスジは弄れないけど、なかなかセンシティブな内容も入っちゃってるもんで、そこんところを文章を整えながら作品を整理しようと思うのだ。


今年の最初の四半期まででそこぐらいまでは終わらしときたいなと思う。いろんな趣味活動をサボるのは今週までにしとこうと思う。傷は浅かったようであり、ダメージはそこまで深くない。メンタルの調子が整ってきたら、焦らずに一つづつでやるべきことを終わらそうと思う。


それと、5月のGWは伊勢に旅行に行きたいなと思った。玲と真輝のシリーズの次回作の「クダンインターセクション」については、舞台が伊勢なので、取材を兼ねて骨休めの旅行に行きたいなと思った。


まぁ、長野で宿坊に泊まって善光寺参りもやったことがあるので、伊勢詣も悪くないだろう。泊まるところはビジネスホテルなどにして贅沢せずに済ませれば、おそらく2泊3日で交通費含め7~8万ちょいぐらいに抑えられるかなと踏んでいる。温泉については近場の大衆浴場などを使えばいいだろう。


しかしまぁ、小説でいきなりアマテラスなどを出そうとはしてるけど、これは本当に大丈夫か? とは悩むところである。そもそも僕の信仰というのは仏教でも神道でもなく、沖縄の民間信仰の先祖崇拝だ。墓は仏教式である。趣味の創作で神道最高神をキャラクターとして出しちゃって大丈夫なのかは悩む。


ここんところの沖縄の民間信仰についても探っていくと、古神道とのつながりが見つかるというのはあるらしい。沖縄にも琉球八社などの神社があるけど、琉球王朝が本土から神道や仏教を輸入してきたけど、それと民間伝承がミックスされて独自の信仰になっちゃってるというのがあるらしい。


そういう、ユタとかノロとかの沖縄の民間伝承を使ったファンタジーを書いちゃうのも悪くないよなーというのは常々考えている。こういうのは池上永一が「テンペスト」のように先人が作品としてやっているけど、あれも琉球神道の方がメインではないしな。


僕はあくまでも現実主義者で、「怪力乱神を語らず」的な反オカルトな思想を持っているが、神話とか怪談のような不思議な存在の話が好きである。


なんとなく、科学的な部分からはみ出した人間の無意識的な領域の話で、そういう神様とか不思議現象というのがあるんだろうなーみたいな淡い願望がある。人間って、元々古代の社会のOSは神話であるし、基盤となる倫理観とかのナラティブには神様という存在が力を及ぼす範囲があるんだと思う。


こういうのを無理やり突き詰めていくと、ユングの普遍的無意識とかの話になりオカルト臭くなるのだが、そういうのじゃなくてもっと、「小さい頃にみんなが聞いてたお話」的なところで民俗学的な感じでその土地にあるフレームワークというのはあるんじゃないかと思うんである。


大きな災害が起きた後の土地には、UFOや心霊現象が増えるという話を聞いたことがある。無論、これは霊魂とかそういうオカルト的な要素があるから心霊現象が起きるのではなく、家族を失ったなどの心の傷を癒すためにはそういうナラティブの出来事が必要なのだ。


ここでいう心霊現象は、震災で父親が亡くなったはずなのに、住んでいた2階からは昔と同じような生活音が聞こえるとか、タクシー運転手が客を拾って元々街があった廃墟に連れていくと客がいなくなったみたいな現象である。人間は、心に傷を負った時にそんな風な物語を共有して傷を癒そうとする性質があるんだよね。こりゃまぁ心理学的にも説明がつく解釈である。


僕は神話とか民間伝承の話が好きなんだけど、そういうナラティブには人間が生きてきた歴史や背景が透けて見えるのが面白い。ラフカディオ・ハーンとか柳田國男とかたまらなく好き。まぁ、僕が神話とか民話を扱う時はそういうノリだね。

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