超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


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文章が上手くなりたければ自慢話を書かないようにしよう。

文章が上手くなりたければ自慢話を書かないようにしよう。


台風10号が九州地方に近づいてるようだけど、これ950hpaも勢力があると言われてそこそこ強い。台風に慣れてる沖縄でも950hpaというのはみんな警戒するぐらいのレベルの台風であり、これが内地に行くと相当被害が出ることが想定される。


台風が通過する地域の皆さんはちゃんと避難場所を確認したりとか、防災バッグの準備などを怠らないように気をつけてください。山肌から水が出てるなどの現象が見つかった時は、山崩れが起きる前兆なので早急に避難してください。また、間違っても川や田んぼを見に行くとか水辺に近づくのは絶対やめましょう。


日本全土が暑くなり亜熱帯化してるせいなのかどうなのかは分からんけど、最近は全部台風が沖縄を通り過ぎて東京や他の地域へ行ってしまい、それで被害が大きくなるケースが増えている。このせいで、沖縄の珊瑚礁は海水の循環が起こらずに珊瑚の白化現象が発生しており、そろそろ1~2個ぐらいは沖縄に台風に来てもらわないと珊瑚が死滅する。


こういう地球温暖化で亜熱帯化した東京を舞台にした物語というと麻宮騎亜の「サイレント・メビウス」だっけか。確か、ゲーム雑誌で見た広告にそういう言及があった。実際に自分が読んだことはないけど、そういう廃退的な雰囲気の作品であるなーという印象は強く残っている。90年代ごろの僕らの世代というのは、近未来では環境問題が大きくなってきて人類が滅ぶぞーというエコロジーですごく脅されたものであるけど、実際に2020年代まで来てみると、実際にそういう問題が現実的になりつつあるな。


などと、冒頭から珍しく社会派な話題を展開してる今日のエントリーではあるが、本題は全く別の話題である。最近僕は、南直哉氏の「苦しくて切ないすべての人たちへ」というエッセイを読んでいる。



南直哉氏は青森の恐山にある有名なお寺の住職代理をしてるお坊さんで有名な方。どうも南氏の書く話と僕の精神性というのは相性が良い感じであり、南氏が書いてる仏教関係の解説書を読んでみても腹落ちすることが多い。今回の「苦しくて切ないすべての人たちへ」は雑誌に収録されてたエッセイ集であるけど、なかなかくだけた調子の笑えるエッセイが多数収録されている。


その中で、「なるほど!」と膝を打つような文章の一節があった。こちらである。

ただの苦労話は自慢話と同じだ。聞いて面白いと思うヤツは誰もいない。頼まれない限り、するな。どうしてもしないといけない時には、全部笑い話にしろ


この一節は、南氏が教師であった父親からよく聞かされた忠告らしいのだが、「まさしくそうであるな!」と僕は思う。僕がブログで文章を書いたりとか、プロの書いてる書籍などを読んでいても感じることなのだが、作家本人が書いていて一人で気持ちよくなってる文章というのは、周りの人は醒めた目で見てるものである。


僕が文章を書くときの信念にしてることだけど、「笑えたりとか感心させるような内容のない文章というのは単なる自慰行為である」ということだ。これは、昔「恨ミシュラン」という西原理恵子との共著の本の中で作家の神足裕司氏が書いていたセリフであるが「エッセイは笑い無くして書くべからず」であるという。


類似の話というのは他の文章読本でも散見しており、辰濃和男「文章のみがき方」の中でも文章が上手くなりたければ自慢話を書くな! と割と強めの論調で書かれていたことを覚えている。


こりゃ、僕らのような中年期以降に人にはありがちであるけど、飲み会でも立場が偉くなり周りで諌める人がいなくなると、酒に酔った勢いで延々と若い頃の武勇伝を展開して止まらない人がいる。自分が若いころを思い出して欲しいのだが、上司や先輩が飲みの席でこのようなことを始めて絡み始めると死ぬほど鬱陶しい。別に聞きたくもないのに褒めないと嫌そうな顔をする。本質的に他人の自慢話というのは鬱陶しいものなのである。


しかし、僕がこういうことを書いてしまうのは自殺行為である。ブログなんて媒体は基本的に全て自分語りで展開されるものであり、プロでもない素人が自分語りをした場合には大概、過去の自慢話になる。プロが書いてるエッセイなどの場合には、その自慢話の中にも人を感心させる芸風なんかがあったりするけど、素人がブログで書いてる文章などの場合には、長々と自慢話を聞かされて挙句に結論すらない場合もよくある。


僕がブログで気をつけてることはまさにこれで、読んだ人に何か持ち帰ってもらえるお土産がないような文章なんてものは次から来る人がいなくなるだろうなーと気を使ってるのだ。わずかでも時間を取って自分の書いた文章を読んでくれるのならば、笑いなり知識なり読んだことで何かのメリットを提供せねばならず、そこんところは素人芸の文章でも配慮するのは思いやりだと思うのである。


書いて自分だけが気持ちよくなってる文章というのは、周りの人たちは冷めた目で見てるものである。そんなことばかりを繰り返していると次第に人は来なくなる。そこんところの配慮やおもてなしの心というのは、人に読まれる文章を書くうえでまず考えねばならぬことであるよ。

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