超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


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まずは考えている気持ちを整理することが大切か。

まずは考えている気持ちを整理することが大切か。


ここしばらくは死んだフリ期間が続く。会社で仕事をしていてもネガティブな感情を頭を駆け巡ってる状態であるし、この状態で何かまともに建設的な事を考えるのは無理である。


しばらくは、また下園壮太先生の本を再読したりとか、仏教関係の書籍でも読み漁ろうかなという気がする。どうも、これからの生き方について悩む課題がたくさんある感じであり、焦って安易な答えに飛びついてしまうとますます状況を拗らせることが想定される。


かといって、ブログは書かねばならず、何を書くべきか悩むところである。今日は本当に普通に仕事をして筋トレをしてきたぐらいであり、特筆するような出来事というのがないのである。ブログ稼業ではネタがない時も書き続けないとならないという熾烈なところがあり、頭がカラカラの状態で文章を絞り出すことで、非常に思考力が鍛えられる。


まー、なんか、たまにむやみやたらに人生に対して失望感であるとか絶望感を感じてる時がある。僕がいろんなものに期待をしすぎたせいではないかと思うんだけど、人は自分の限られた物差しで人生の価値を測り、それが思い通りじゃないと絶望感を感じるものである。


こういう時こそ原点に立ち返り、過去のブログなどを読み返してみて今まで得られた知見であるとか積み上げてきた成果を見直すのが大事だろう。「自分は何もできない」みたいな自己嫌悪に襲われてる時は、僕は自分のブログを読み返す。


自分のブログを読んでみて思うのであるが、この人はなんでもかんでも書きすぎなのである。個人ブログの魅力といえば、セキララさであると僕は思うのであるが、こういうのは匿名でリアルとネットの顔を繋げてないからできることだ。実名登録が基本のFacebookではブログで書いてるようなことは書けないだろうし、ブログで書いてるような事を書くと現実で周りに迷惑をかけることもある。


やたらこのブログではネガティブな事ばかりを書きまくってる傾向があるが、別に普段のリアルでの僕はブログで書いてるほどは絶望してばっかりではない。このブログで書いてることは発声練習というか、思考で考えてることを整理して現実の行動を調整するためのものだ。


このブログで書いてることは、基本的にはフリーライティングであり、一日のうちに決まった時間に1時間だけで文章を書き出すという習慣の中で書かれている。なので、思考のうちでも最もホットな部分を直接にエディターに叩きつける感じであるし、その方が文章にも勢いが出て良いだろうという考えでやってることである。


なので、何か嫌なことがあり思考がネガティブに囚われている時は、ネガティブで暗い話をダラダラと書き連ねることになる。しかも僕の場合、何か嫌なことがあると数日に渡りクヨクヨと悩むので、連日ネガティブな記事が続くということもよくある。読者諸氏にはご心配をおかけしてるが、ブログの文面で書いてるほどには僕は苦しんでないことも多いので温かい目で見守っていただければ幸いである。


だけどまぁ、ブログの毎日更新を8年以上も続けてきたおかげなのか、ネガティブな出来事が発生してもロジカルに感情を整理して立ち直るスピードというのは早くなってきたように思う。毎日のブログ執筆の習慣の中でも気を付けていることはいくつかあり、どれだけネガティブな書き出しで書き始めたとしても建設的な結論で締めるというのがその一つである。


人生の中ではやってはいけないことというのは色々とあるけど、「無反省な自己憐憫」というのはその最たるところではないかと思うのである。人生の幸不幸というのは「禍福は糾える縄の如し」という感じであり、良いこともあれば悪いこともある。人の運も人それぞれだ。運悪く失敗することもよくあることである。その失敗ばかりをクヨクヨと悩み、自分は可哀想だと周りに同情を求めることは、他人にやるなとは強制しないが僕はやらない。


長く生きてきて分かってきたことであるが、人間という生き物は自分の感情ですらコントロールできない。嬉しいことがあれば喜ぶものであるし、悲しいことがあれば悲しむのは普通である。そんな中で、仕事やら組織での立ち振る舞いで感情のコントロールを求められるところがある。感情というのは排除したほうが効率が良いという社会の潮流もあるけど、そんなものは嘘っぱちである。


失敗して落ち込んでる時はその怒りや悲しみをよく噛み締めて、じっくりと休んで調子を整えた上で捲土重来を目指せば良い。感情というのはそれぞれ、起きてる出来事が自分にとってなんなのかという意味を伝えてくれるシグナルである。それを自己欺瞞で誤魔化していると現実と認識のズレが大きくなり、さらなる大失敗を招くこともある。


何か嫌な出来事で感情が揺れている時があるのなら、それが自分にとって取り扱い可能になるまで感情のプロセスを進めて、しっかりと休めば良いのである。人生にはさまざまなライフイベントも付きものであるし、それで心が揺れるのも仕方ないことだ。どれだけ心が揺れようとも、自分の軸の部分はずらさずにヤジロベーのように最終的にバランスを保って立ち直ることが重要だ。僕は仏教でいう「不動心」というのは、心は揺れはするけど自分の軸をぶらさないことだと思ってる。

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