超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


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人間の本質が外見に出るというのもありうることだ。

人間の本質が外見に出るというのもありうることだ。


今日は海の日であるが会社は普通に仕事。こういうブラック臭がすることをほんとやめてくれないかと思うのであるが、とりあえず食うために仕事はちゃんとする。


今日は筋トレもあるな。体重は順調に減っており、いい感じでダイエットは進んでるなと思う。しかし、公衆浴場などに行って周りを見ると、自分の体は脂肪がついて醜いなと感じるので、多少は筋肉をつけて見栄えのするいい体にしたいな、などと思う。


どうも、僕は人間に対しては「見た目より中身重視」なのであるけど、見た目が整ってる人は内面もそこそこ綺麗という事例にも良く出くわすのである。ファッションだとか見た目を整える努力というのは、ある程度、自己規範を求められるところがある。他人から客観的にみて自分はどうなのかということに気づくメタ視点も必要になってくる。


最近、どうせやることもないしせめてボディーメイクとかファッションなどを色々と工夫しようかなどと考えているのである。ネットを彷徨っているとこのような記事を見かけた。


diamond.jp



男の美容というのは、やれることといえば、せいぜいまぁ、化粧水塗ったりとか眉を整えたりとかファッション誌を見つつ良さげな服を買ったりぐらいであるけど、僕は醜いおっさんにはなりたくないので、やれることはやろうと思う。


こういう感じの、コンフォートゾーンを出て新しい趣味を始めてみるというのは、なかなかいろんな気づきがあるのである。生活の中で、今までとは新しい行動を始めてみると、それまで気がつかなかった新しい情報を知ることができる。そのことにより今までの知識に新しい視点が加わって、世界の見え方がアップデートされる。


僕は馴染みの美容室があるけど、そこには話が合う美容室のおにーさんがいるからいく感じである。チャラい金髪の兄さんだけど、自分で店を経営してそれなりに苦労人であり、話が面白いから二ヶ月にいっぺんぐらい話に行く。


僕は内向的で人嫌いであるが、一人の人とじっくりと語り合って付き合っていく行為は嫌いじゃない。なんというか、ウェイな雰囲気でその場のノリだけの薄っぺらいやつなどが嫌いなのである。なんというか、行動が勢いだけで何にも考えてなさそうな人とは相性が悪いというか、あっちも僕みたいな暗いタイプは嫌いだろうが僕もそういうやつは嫌いである。


僕は大学は心理学科だったのだけど、こう人嫌いと言ってる人がなんで心理なんかに進んだかというと、やはり人間のこころの機序が面白いと感じることがあったからである。


僕が人の心理で見ているのは主に自分のこころを観察してる感じなのだけど、「人は心の鏡」という感じで、いろんな人と関わり合いになってみた時に、自分の考えがどう動くのかというので面白い動きに気が付くことがあるのである。自分から色々と話したりするのは好きではないが、相手が言ってることに対して「なんで、この人はこんなことを考えるのだろう?」とじっくりと考えを巡らせてみることで、新しい気づきが生まれることがある。


「書を捨てよ町へ出よう」と言ったのは寺山修司であるが、実際、人間のこころというのは書物を何百冊読んだところでわかるものではない。人間の生き方というのは多種多様であり、本当にいろんな考え方をするいろんな人がいる。そういう人間観察は、本を読むよりも面白い。


実のところ、僕がブログを読んだり書いたりするのが好きなのは、自宅にいながらそういう人間観察をお手軽にできるからというのもあるんだけどね。世の中には本当にいろんな考え方をする人がいる。それらの人が書いている文章をいつでも読むことができるというのは、いろんな経験を追体験することができて面白い。


人間というのは有機的な存在であり、自分が考えてる自分だけが本当の自分ではない。むしろ、人のこころというのは「現象」であり、他人との関わり合いの中で発生するものだ。人間が全く一人きりで世界に放り出された時は、自分が何を考えてるのかなども気にしないはず。過去・現在・未来とさまざまな人間関係のコミュニケーションで受けた反応の中で色々と考えるのである。


僕の本質的な興味というのは「人間とはなんだろう?」ということである。そのために哲学や心理学など色々と学んできたけど、それらの学問というのは、確かにその傾向や方向性を示したものであると分かる。しかし、頭で考えた理屈だけでは本質的な理解にはつながらず、それらの理論を確かめるために、自分の存在全てで世界と向き合うことで分かってくることがある。


そういうことも考えて、人の見た目が相手に与える印象の意味なども興味がある。人間がその人を評価するときに観察することができるのは、その人の見た目や行動だけだ。どれだけ内面で深いことを考えていようが見た目が悪ければ評価されない。そこのところの、うまく外見と内面を調和させることも人間的な深みなんじゃないかと思うんである。


リンカーンの名言で「40過ぎたら自分の顔に責任を持て」という言葉があるが、これを僕的に解釈すると今まで書いたようなことになる。僕はまぁ、ちゃんと内面と外見が一致したジェントルマンになりたいと思うので、このような行動をするのである。

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