超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


SPONSORED LINK

自分が評価されるに値すると信じる作品を作るのが大切だな。

自分が評価されるに値すると信じる作品を作るのが大切だな。


ジムでの筋トレは昨日済ませたので今日は休息日。昼休みにちまちまと「百年の孤独」を読み、家に帰ったのちは晩飯を食い、風呂に入り寝る前に手がけてる小説をちょっとだけ書く。なんか、「若隠居の生活」というキーワードが浮かぶのであるが、それも悪い気がしない。


小説はそろそろクライマックスシーンに入りそうなところまで来ている。出雲の神在月の最終日、神等去出祭の後の出雲大社の夜の境内で、主人公たちとラスボスが対決するところまでーという想像はできてるのだが、これから書くので徹底的に想像力を膨らませなければならない。


僕は小説を書くときはそのシーンの映像が浮かぶまで想像しないと書けない。だいたいこんな感じかなというキャラクターイラストを描いたりなど、わりかし映像主導型で小説を書いたりするので、最近は出雲神社や出雲市街地の街歩き動画などを見ている。


最近これは文明の利器だよなーと思うことがあるのだけど、Youtubeで適当にその地方あたりの地名を検索して調べると、その辺りを散歩しながら撮影した街歩きの動画が出てくるのである。僕のような映像主導型で小説を書いたりするタイプにはこれはすごくありがたいことであり、自宅に居ながらにして岡山や島根の取材を行うことができるのである。


しっかしまぁ、実際にその土地に行ってみて街を歩いてみないとその土地の空気感というのはよく分からないだろう。僕は玲と真輝のシリーズに関しては、岡山を中心に瀬戸内海近辺を舞台にして小説を書いてるが、これはシリーズ1作目の「ナナシノユウレイ」を書いた頃というのは、転勤で岡山に住んでたからである。


なので、あの小説を自分自身で読んだのなら、二人が歩いてる場所とか電車に乗ってるシーンはどんな光景なのかありありと想像できるところまでビジョンははっきりとしてるのだが、いかんせん10年以上前の小説であるので、流石に文章が粗が多すぎて自分で読んでいて恥ずかしくなってしまう。いちいち厨二病的発想というか、ここまでとんがった設定にしなきゃいいのにと思うところもあるけど、まぁそれも含めて自分の作品である。


「ナナシノユウレイ」については、今の文章力でリライトをしてみたくもあるよなと思う。展開とかはそのままにして、文章の細部であるとか設定の微調整を行い、文章の書き直しを行いブラッシュアップしたいななどとも思うのである。玲と真輝のシリーズに関しては、この後の二人の旅路がどんなふうになっていくのかという結末までの構想は出来上がっているので、ちゃんと一つのシリーズものの作品として完成させたいなというのが、最近のライフワークだったりするね。


しかしまぁ、僕の趣味というのは小説を書いたりとかイラストを描いたりすることだったりするけど、それが自己完結しすぎてるのはちょっと悩みなのである。これはブログを書いたりとかそのほかの趣味でもそうなのだけど、小説を書いたりするのも自分が後で読んで楽しむためなどと自己完結してしまっており、その成果物を他の人に読ませてみたりとかあわよくばリアルの書籍化という目標をさっぱりと持つことができない。


僕もプロアマ関係なしにいろんな人が書いた小説を雑多に読んでみたりするものの、僕の書いてる小説というのはそれらの作品と比べてもそこまで極端に遜色があるわけではない。ネット小説などでは選んでる題材により読まれたり読まれなかったりが決まるから、自分が書いてる作品というのは流行りのテーマとは外れたところにあるけど、普遍的な価値観であるとかそういうのはとりあえずある程度、ちゃんとしたテーマ性を持たせた小説を書くことができてるよなと自画自賛してるのである。


一体、なんで自分がここまで自分の中に自閉したような創作で満足してるのか、自分自身でもよく分からんのである。小説やイラストを描き始めた頃とか、pixivみたいな創作SNSで作品を発表してた時は、ある程度そういう承認欲求的なものもあったように思うのだが、あまりにもレスポンスが少なすぎていつしか「評価されなくても自分が満足できりゃいいや」と自己完結してしまったのである。


そういう自己完結したタイプだから10年も20年もろくすっぽ評価されない創作活動をしていても全然へっちゃらなんだけど、流石に死ぬまであんまり読まれることのない小説を書き続けるというのは、ヘンリー・ダーガーでもあるまいし自分でも自分の行動に疑問を持つぐらいはするのである。


最近、やなせたかし先生の「明日を開く言葉」という自伝エッセイ本なんかを読んだりもする。



やなせたかし先生がアンパンマンで評価されたのは60歳をはるかにすぎてからである。それまで、作詞や詩などを書いて出版の仕事をしてたやなせ先生だけど、自分のキャリアについてはずっと失意と失望しか感じてなかったらしい。


そんな中でやなせ先生は太平洋戦争での飢えた経験をもとに、子供たちに夢や希望を与えられるようなヒーローを描きたいという願望でアンパンマンを生み出した。60を過ぎても自分の創作活動を諦めずに、そこから時代を越えるような大ヒットを生み出したのである。


こういう大器晩成型の人の話などを読んでいると、年齢とかは関係なしにちゃんと真意を大事にしながら創作を続けていたら、チャンスというのは訪れる人には訪れるものなのだなと勇気づけられる。まぁ、それが多くの人に評価されるか悩むよりは、自分が評価されるに値すると信じる作品を作るのが大事なんだろうなーと思う。

プライバシーポリシー免責事項