超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


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「生きるのめんどくせーけど、まぁ生きるか」って感じ。

「生きるのめんどくせーけど、まぁ生きるか」って感じ。


ちょっとメンタルに黄色信号が点っているのよな。どうもチームで自分以外のメンバーだけで仲良くしてるのをみて孤立感を深めたりとか、挨拶しても返事を返されないことで自分を責めてメンタルの調子を崩しそうになったりなど。明らかに自分に明確な悪意が向けられてない事柄にまで被害妄想を拗らせてる。こういう被害妄想が出始めると、あとあと激しくメンタルダウンを起こしたりする。


仕事の転職については、今の仕事を進めつつも転職活動も並行して行わねばならぬだろうなーとは思ってる。ちょっと、僕は今後の人生では内地の方に移住して生活したいというライフプランがあったりとかでこの会社で定年まで働くことはないんじゃないかと思う。それにしたって、自己投資をして自分のキャリアアップのために色々と資格を取ったりとか、勉強をしたりみたいな研鑽はせねばならない。


そんなことを考えつつも僕は普通に生活もせねばならぬのである。僕がひねくれて仕事を辞めたりして路頭に迷うと、ただただ自分が苦しいだけである。僕の人生を保証してくれる人というのは自分以外に誰もいないであるし、自分の機嫌もとりつつ気分よく働いたり生活したりして暮らせるように工夫をせねばならぬ。


僕の人生では、ブラック企業に潰されたりとか病気で死にぞこねたりとか最悪な出来事は発生してきたけど、自分の人生には絶望してない。嫌な出来事は大量に押し寄せてきて、人生というのは苦しいことばっかりなのであるなと認識はしてるけど、それでもいろんな書籍や付き合いのあるネットやリアルの知り合いの話を色々と聞くことで、世の中には生きていればまぁまぁ手応えを感じて楽しくなれるような出来事というのがあるっぽいと知ったからだ。


なんか、ちょうど今ぐらいの年齢になると発生するミドルエイジクライシスなのか、しばらく人生の意味に悩んでしまってカウンセリングなども受けるようになっていた。どうも、合理的に考えようとすると、僕の人生というのは苦しいことばっかりで、ろくに将来に残せるような資産やら子供やらもいない感じ。生きてる意味ってなんだろ? と悩み込んでしまう。


この歳になってから自分探しにハマってしまった感じで、いろんな哲学書自己啓発本なんかを読み耽ってみて生きる意味とはなんぞや? という風なことをずっと考えていた。きちんとしたミッションステートメントみたいな、まとまった言語化で生きる意味をまとめることはできないけど、今現在の気持ちとしては「生きるのめんどくせーけど、まぁ生きるか」って感じである。


別にめんどくさいばっかりで生きているという感じでもなくて、最近のAIの進歩をみてたりとか、図書館で借りてきた本のいろんな哲学の概要を自分のScrapboxに整理して自分の思想を磨いてみたりとか、玲と真輝のシリーズのような自分なりの創作を工夫してみたりとかしてると楽しくなる。今現在のIT技術の発展により、未来に向けて建設的なテクノロジーの進歩が起きてるのを見るのは楽しみである。また、自分自身の思考を整理して、自分の考えを言葉にすることで「自分とはなんなのか?」ということを薄ぼんやりとではあるけど認識できる気がする。


ダラダラと毎日ブログでこんな風に駄文を垂れ流してるけど、これは僕自身のための思考のスケッチの役割を果たしている。この文章を書いてる瞬間の自分の思考を言葉により固定化することで、後から自分の思考を振り返ってみた時に少しでも進んでいることを知ることができる。僕よりもすごい人であるとか賢い人はたくさんいるけども、僕の代わりに僕の文章を書くことをできる人は居ない。そして、自分の文章を読んでいると、ちょっとずつであるけどこの人、多少は成長していることを知るのである。


どうも、僕の悩みの主題としては、承認欲求というのは割と大きな比率を占めている。どれだけやっても認めてもらえないし、自分自身が周りからの評価に満足していない。けど、最近になってようやく周りの人間が自分をどう思っててもどうでもいい、僕自身が大事だなと思えることをしっかりと信じていれば生きててもいいのだと分かってきた。


僕は周りから見たら頑固に見えるかもしれないけど、内心では周りからの評価にビクビクしてるし、自分のやってることに自信がない。それでいて周りに迎合して自分のやり方を変えることが嫌いで、周りに合わせるつもりはないけどやってることは評価して欲しいという幼い思考を持っていた。


僕がこの歳まで生きていて作り上げてきた自分の考え方というのを、自分でも評価することができてなかったのだね。わかりやすい箴言でかっこいい文章にすることもできるかもしれないけど、誰かの思想を自分のものにするためには自分を騙さないといけないかもしれない。僕自身の言葉で生きる理由を言語化するとすると「生きるのめんどくせーけど、まぁ生きるか」である。

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