超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


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ヴィクトール・フランクルの「夜と霧」を読んだ。

ヴィクトール・フランクルの「夜と霧」を読んだ。


最近は行き帰りの通勤時間はヴィクトール・フランクルの「夜と霧」を読んでいた。やはり、この本については今の時代だからこそ読んでおかねばならぬなと感じた。


この「夜と霧」の中で語られてるのは、ナチスドイツのアウシュビッツ収容所での話であるけど、その時のドイツの非人道的な扱いについて随分と知ることができた。たとえば、アウシュビッツに連れてこられた時は上級の将校が収容されたユダヤ人を右と左に振り分けられるのだが、片方に選ばれた人たちは即座にガス室送りで口減しをしてたとのこと。


人間が極限状態に置かれた時にどのような行動をするのか、精神科医フランクルによる分析で人間心理の深い掘り下げがされている。極限状態でも生き残ることができるのは、自分なりの世界観というのをちゃんと確立してるタイプらしい。


フランクルは収容所の中で一人の女の子を見ていたが、すでに弱りきっているのだがそれでも精神的にはまいってなかった。それはいつも木に話しかけたりして、自分なりの生きる理由というのをしっかりと見ていたとのことだ。人間は絶望をするとどれだけ頑健な人間でも動けなくなり死んでいく。


きちんとした自分なりの生きる理由を見つけておくというのは、重要なことだなと再認識させられた。僕はこうやってブログを書いたりすることも、自分が何を考えてるか書き出してみて熟考するということにつながってると思う。その中で、自分を掘り下げてみて自分の価値観をしっかりと把握しておくことは必要なことであるな。


とかくまぁ、現代の世の中というのはなんとなくで惰性で周りに流されて生きられるような世界であると思う。インターネットによる情報過多で、普通に生活を送っていてもスマホから欲望を煽る情報がどんどん入ってくる。その中では自分よりもすごいと思える人たちが大活躍をしており、自分の自尊心というのが損なわれがちだ。


世の中の溢れてる情報の99%は必要ないものである。どれも自分にすぐさまの行動を求める優先度の高そうな情報に思えるが、実際のところそれらの情報に従わなくても生きるには困らない。むしろ、その情報が行動を求める理由というのは、情報発信者の利益のために消費を煽ったりとか政治的な動員を求めるプロパガンダのことも多い。


「夜と霧」の中では、他に収容されていて今にも自殺寸前の学者だった人も紹介されている。フランクルがその人を励ます時には、収容所から生きて帰って書くべき書物のことを思い出させた。仕事というのも生きる理由につながるのである。自分が人生を通じて達成したいことがあれば、それを実現するまでは心の火は消えない。


自分が本当に何をやりたいのか? 自分が好きなことは何なのか? そこのところの自分の価値観というのをはっきりさせておくことは、人生を生きやすくするコツであると思う。これは必ずしも成功者になるために目標を立てておこうということではない。「自分はこうである」という軸をはっきりさせておけば、無数に流れてくる情報の中からどれが必要でどれが要らないのか選別できるのだ。


自分の軸の部分というのは、探してみて見つかるものではなく、自分の中にあることに気がつくものであることが多い。「幸せの青い鳥」という寓話もあるが、幸せの欠乏感から色々と試行錯誤をしてみて、その結果、自分が元から持っていたことが自分の本当の幸せだったのだと気がつくものなのである。


むしろ、こういう自分の本質的な部分というのは、アウシュビッツのような極限状態だからこそ気がつくのかもしれんな。一応、平和な現代日本では、むしろ物質的に満たされすぎて自分の本質には気がつかないこともあるかもしれない。


こういうのはどうやったら知ることができるのだろう? というのは僕も正直よく分からない。気がつく人は若い頃にはもう知ってるものだけど、中には一生掛けても知ることができない人もいるかもしれない。いくらネットや書物で膨大な情報を集めてみても見つからないものであるし、こういうのは身体的なものに属する領域な気がする。


人生を通じてさまざまな経験を積んでみることで、人として生きる理由は気がついてくるものだろう。僕は、人間の本質であるとか実存的なものは、体得するものであって教えられるものではないと思う。確かにそれは存在してることは分かるのだけど、それを得ようと中途半端に学ぶと遠ざかるものだ。


禅語の中に「千の言葉も万の書物も、川を渡る船にはならぬ」という言葉を聞いたことがある。人生の生き方を指南するような本はたくさんあるけど、実際に生きてみないとそれが本当はどうなのか分からないのだ。書物はそこにあることは教えてくれるけど、それ自体ではない。


随分と「夜と霧」の感想とは離れてきたけど、僕はこの本を読んでいてこんなことを考えていた。色々ときな臭い世の中ではあるが、むしろ今こそこうやって人間存在についてしっかりと考えることが重要じゃないかな。


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