超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


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僕には世界がこう見えている。

僕には世界がこう見えている。


今日は忙しい。朝は食材の買い出しを行なってきて、午後はカウンセリング。それが終わったのちにニュースレターを書いて、夜も予定がある。こうやってブログを書いてるが、手抜きで自分が楽に書ける話題を書くとする。


色々とカウンセリングで話したのだが、どうも僕は概念をレゴブロックのように積み上げて考える癖があるようだ。ブログの文章でもそうなのであるが、どれか一つの出来事にフォーカスして内心を描き出す情景描写というよりは、さまざまな知識を散りばめて情報量が多くて考えさせる文章の方を好む。


実は、これは多少コンプレックスでもある。僕はこうやって毎日日記代わりに文章を書いてるのだが、内心を掘り下げて「分かる!」と共感させる文章が書けないのではないかと思うのだ。自分が経験したことに対して、すぐに外部の知識が割り込んでくる感じであり、その経験の詳細を情感豊かに表現する言葉を持たないのだ。


内心を緻密に顕微鏡のように自分の感じ方にフォーカスを当ててる文章には憧れがある。僕が書いた文章というのは、誰かの借り物の知識の情報量が多いばかりであり、自分がどう感じたかという内観的な記述は貧弱じゃないかと思うのだ。


僕は小説も書くので、そういう内心の情景描写という技術についても練習したいなと思うのだ。でも、どうやら僕の考え方というのは中途半端に理系であるらしく、相手に自分の気持ちを伝えるためには客観的な概念を組み合わせた言葉が必要だと考えるらしい。


プロのエッセイから素人のブログの文章まで、数々の文章を大量に読んできたが、日本語での文章表現というのは本当に柔軟だ。


相手に気持ちを伝えるためには、必ずしも高度に構築された概念の情報量が必要なのでなく、比喩的に表現される感情が伝わればいい。そこんところがよく分かってないらしく、僕はいちいち書きすぎてしまうのである。


要するに余白のない文章ばかりを書いてるなと思うのだ。僕の書いてる文章は詩的というよりは論理的。その割にはしっかりとした論理の組み立てをしてるのでなく、自分の中で確からしいと感じる意味の組み立てをしてるのである。


文章表現というのは必ずしも文章が含んでる意味だけではないんだよなー。その言葉の組み合わせであるとか、音の響きとか、そういう音声的なニュアンスには僕は気がつかない。書いてることの意味は伝わるが、「伝わるだけ」なのだ。


考えさせる文章ではあるかなと思うが「読ませる」文章じゃないのだ。体感的に書き手の気持ちに共感するような文章ではなく、頭で考えてみて納得というような文章を書いている。


他のいろんな人の文章を読んでいて、内心の気持ちを瑞々しい文体で書いているブログなんかを読むと「悔しい」と思うのである。自分もそういう文体の形態模写は出来るけど、それは内心から出た言葉ではないので、チグハグでそぐわない様に思える。


これはブログで書いてる文章なんかでは顕著なんだけど、その人が書いてる文章というのは、その人が見てる世界の見え方をそのまま示してるんだよね。


なんでまぁ、僕の書いてるブログには僕の世界の見え方が示されている。僕の世界の受け取り方というのは、その出来事の概念であるとか情報を主に受け取る。どうも情緒的なものというのは解像度が低いようだ。


この世界の見え方というのは、多分、ビビットに解像度が高く世界が見えてない。デジタルとアナログの違いを想像してもらいたいのだけど、デジタルの粒度をどれだけ細かくしようとも、必ずわずかな情報量が抜け落ちる。究極的に実際の世界の見え方に近いのはアナログな方なのだ。


僕の書いている文章はデジタルに近い。さまざまな意味をモザイク状に繋げてそれっぽく見せてるだけであり、情感などの情報が抜け落ちている。なので、読んでみても感情移入するというよりは、頭の理解だけに止まる文章じゃないかと思うんである。


抜け落ちているニュアンスの方に重要なディティールが含まれていることもよくあることだ。むしろそちらの細部の方が重要であり、「美は細部に宿る」ということすらありうる。


回りくどい言い方になってるけど、どうやら僕には世界のある部分が見えてないようなのだ。それが自分とは違う世界の見え方をしてる人の文章を読むと分かるのだけど、そのことに気がついた時に僕はいろんな複雑な感情を持つのである。


あるいはこれは「気づき」とされるものかもしれないけど、どうも、僕は自分の文章で見えてない世界の表現を再現できないことを「悔しく」思うのである。なんだろうねこれは、傲慢かもしれないけど、僕はその一点が喉に刺さった小骨のように気になり続けている。


昔から世界にこういう違和感を感じ続けてる。それは些細なことなんだけど、結構大きな差異じゃないかと思っていて、そこのところの世間とのズレがものすごく気持ち悪い。なんとなく、今日のカウンセリングでそんなことを考えた。

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