超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


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真正面から相手を見てコミュニケーションすべきだよな。

真正面から相手を見てコミュニケーションすべきだよな。


今日は土曜日で休みだった。やるべきことはカウンセリングがあるだけで他には特に予定がなし。午前中は海辺で瞑想をしてた。


カウンセリングの方で考えたこととしては、僕の課題としてはアサーティブなコミュニケーションを身につけるということであるけど、僕は話し言葉で頑張ろうとするよりは書き言葉で考えてから話すようにした方が確実だということである。


アサーティブなコミュニケーションについてはまだまだ書籍などの読み込みが足りないような気がする。何冊か本を読んでみたけど腹落ちが足りないのである。アサーティブなコミュニケーションというのは「自分もOKで相手もOK」なように自分を抑えすぎもせず、攻撃的にもなりすぎないように考えてコミュニケーションを取るということだけど、僕はなんか自分を抑えすぎてダメである。


性格の悩みとかを掘り下げて考えてブログを書くと、またしてもネトネトの自己憐憫の記事になってしまうのである。最近、過去の記事を読み返してみて「なんてネガティブなんだこの人・・・」と自分のネガティブぶりに愕然としたので、ちょっとは他人から見てもまともそうに見えるように記事の書き方を頑張ろうとしてるのである。


とはいえ、どうも僕は内向的なのか分からんが、どうも興味関心があることが自分の内面にある感情であるとか考えてることを掘り下げることが得意であり、気がつくといつも自分の内面を掘り下げて濃厚な自分語りをしてしまうのである。まぁ、自分のブログなんだから自分語りをする分には何も問題ないのだが、いい加減いい歳なんであるしちょっとは他人から自分がどう見られてるのかというのを意識してよそゆきの文章を書くことは気をつけたい。


ブログのような第三者も読めるような文章では、個人的な事柄であれ、それを通じるように説明しないとならないのだ。僕はそれが大層苦手であり、自分が好きなことだけを早口で話すようなオタクムーブをしてる。僕自身の知識量というのは、世間一般の人から見てもそれほど人後に劣るものではないかと思うが、それを人に分かるように説明するのが苦手である。


そもそもの人との向き合い方が「人は人、自分は自分」であり、僕がやってる行動で他人を変えられないし、変えるべきでもないと考えてる。


このあたり、非常に問題を持った課題であり、他人からストレスを掛けられても自分の中の内心のコントロールで耐えられたらいいと考えがちである。僕がマインドフルネス瞑想やさまざまなセルフケアを研究してるのも、周りの環境から受けるストレスを自分の中で解決するためであり、自分から周りの環境に干渉することを避けてしまう。なので、ストレスを受けている原因に対してアプローチすることを最初から諦めており、自分の我慢の限界までストレスを溜めて爆発するということになりがちである。


「これじゃまずい」というのは以前から気がついているので、自分の中に閉じこもってばかりではなく他の周りの人にもアプローチする方法を探そうとしてるのである。だからこそのアサーティブコミュニケーションである。自分の中で考えたことを、きちんと他人にも伝わるようにコミュニケーションをして、仕事やプライベートの問題点を解決するやり方を身につけたいと思ったのだ。


本質的なところで、自分も信用してないから他人も信用できないのだなと思う。僕はなんか知らんが恐ろしいほどのネガティブ思考と完璧主義であり、自分のやったことは必ず失敗で終わると確信しながら行動を始めるのが良くある。また、自分よりは他人の方が能力も知識も上であると根拠もなく信じており、自分が何かやるよりは他人の判断に任せた方が確実と思って決断を先延ばしする。


なんか、こういうのも自分の内面の洞窟の影に映る、他人の影だけを見ていて、相手の本質というのを全く見てないから起きる問題なのだなと思う。本質的なところで他人を信用してないから、良い人が自分に対して褒めたりとか信頼してくれても信用しないし、たまに相手から悪い評価をもらった時にそっちが自分の本当の評価だと信じる。


いい加減、こういうのもいかんよなーと思うんである。きちんと目の前の相手をちゃんと見て、その人が何を考えているのかしっかりと理解した上で、自分の方も裏表なくコミュニケーションを取った方が気分が楽なのである。こういう問題というのは自分だけではなく、外向的な人でも相手に自分の見ている想像の姿を押し付けて、勝手に相手に怒ったりとか勝手に世の中に失望している人というのは多い。


こういうのは交流分析でいうところの裏面交流なんじゃないかなーと思う。相手に対して過剰に攻撃的なのも、また極端に自虐的なのも、相手を人間扱いしてないという点では一緒なのである。「どうせ自分が何を言っても無駄」という思い込みがあるからこそ、相手に対して自分の妄想を押し付ける。自分が妄想で想像してる相手のリアクションを引き出すために押さえつけようとしたり、また攻撃を誘ったりするけど、こういう関係というのは歪んでるんだよね。


とりあえずまー、僕は人間対人間のコミュニケーションができるように、自分の中にある歪んだ他人の像をなんとかしたいと感じたんだよね。表面上は相手の期待に応えるためにヘラヘラしてるけど、内心は全く相手を信用してないからね。きちんと相手を信じられるようになるために、自分のことも愛してみようと思った。


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