超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


SPONSORED LINK

ロスジェネ役職なしの人はどんなことを考えて働くのか?

ロスジェネ役職なしの人はどんなことを考えて働くのか?


今は真剣にものを考えない方がいい時期なんだろうな。頭でばっかりものを考えると碌な結果にならない。人間という動物は兎角、不安を膨らませがちなので、こういう時こそ身体的な感覚に戻って単純にものを考えるべきだ。


今日は夜は飲み会であり、ブログを書く時間が取れないのでサクッと単純な話で終わらせたいところ。飲み会はまぁ、ノンアルコールで過ごし、1次会で早々に退却する予定である。明日は朝から耳鼻科に行く予定であり、夜も夜更かしをすると次の日に体調が悪い。


とにかく考えすぎの憂鬱が止まらない感じであり、この感覚にフォーカスしてものを書くとまた酷い出来のやつが仕上がるはずである。こういう時期はちゃんと瞑想をやったりとか、感情が昂ってきたら深呼吸に意識を向けるなどのコーピングテクニックがものを言う。


どうも最近は参加するコミュニティというのを増やしたいななどと考えることが多い。どうにも人嫌いの性格故に、職場でも孤立しがちであるし、家でも一人きりで孤独に過ごす時期が多すぎである。


人間というのは結局、人に認められて褒められたいという承認欲求が大きな社会的動物なのだと思う。まったくの孤独の中で、誰とも接触せず生活をしてたのなら、それ以外の欲求を満たされたとしても精神がどこか狂ってしまうのだと思う。


なので、ジモティーあたりで沖縄で開かれている小説執筆の愛好家のコミュニティだとか、そういう趣味の集まりを探して参加してみようかなと思う。人と会うのは億劫ではあるが、こういうところで面倒くさがっていると本当に僕は会社と自宅だけの往復の引きこもりのような生活をしてしまいがちである。機会を見つけて友人や家族と話す頻度を増やさなければならないのだと思う。


孤独には慣れているつもりだったのだけど、最近は自分の生きてる方向性とかやりたいことというのがさっぱりと分からなくなってしまった。今の調子で惰性で嫌々仕事に勤めながら、それで趣味でそこまで読まれる見込みもない小説を書いて、それで年寄りになった時に後悔しないか? という想像を巡らせてしまうのである。


会社の人間関係は、まぁ、周りの人たちは若くてみんな20代ぐらいであるし、遥かな年下に対して悩み事を言えるような関係を作れるはずもない。また、会社というのはカースト制もびっくりの階級社会であり、障がい者雇用で出世街道を最初から離脱してるような僕のような存在は居てもいなくても一緒なのである。


最近は自宅に帰ってくると、晩飯を食べながらこういう中年の人生の悩みに関する書籍を流し読みしてることが多い。昨日紹介した「どうやらオレたち、いずれ死ぬっつーじゃないですか」もそうであるが、河合薫著の「40歳で何者にもなれなかったぼくらはどう生きるか」もなかなか役に立つ。



就職氷河期世代が40代になってきてるのだけど、この世代の人たちは非正規でこの歳まで働いている人も多い。また、運よくレールに乗れて相応の役職につけたような人ならいいが、僕のように過労でメンタルをやられてヒラで飼い殺されてる人も多くいる。


就職氷河期世代が新卒の頃というのは、サービス残業パワハラもまだまだ残っており、企業の方でも新卒はいくら使い潰しても替えの労働者はいくらでも見つかると考えてるような時期だった。こういう労働条件が改善されてきたのは、電通過労死事件の高橋まつりさんの頃から、政府の方で働き方改革などと言われて、労働環境が改善されてきたのである。


ja.wikipedia.org


で、ロスジェネ世代以降の人たちの労働環境というのは改善されて、パワハラやらサービス残業を取り締まる法律なんかも整備されたけれども、結局、ロスジェネ世代が失った分というのは補完される見込みもない。40代になった今は少子化で足りなくなった上の世代の社会保障費の過重な負担に喘ぎ、さらに定年退職後も年金がちゃんと出るか分からんのでNISAやiDeCoで自己責任で貯蓄して死ぬまで働けと言われてる。


さらに、社会の格差が広がって、勝ち組と負け組の壁がはっきりしてきた。大学を卒業しても派遣のような非正規にしかなれなかった人は、恋人を作ることもできない。また、それ以外の人でも子供を育てるための教育費なんてものは過重な家計の負担になり、一定以上の富裕層しか家族を持てなくなった。


そんな理不尽な階級社会の日本をバカらしくなった人たちが多いから、N国党だとかつばさの党のような選挙制度のルールの穴を突いて利益を引き出そうという政治団体も出てくる。また秋葉原殺傷事件のような無敵の人の犯罪も増える。そこんところのロスジェネ世代の扱いをどうすんのか? というのはこれからの社会の課題だろうけど、僕が触れたいのはそこじゃない。


そんな、仕事やそれ以外でも生きがいを見出すことが難しいロスジェネ世代が生きる希望を見出すにはどうすんのかー? と問われたら、「仕事人として生きる」ことだろうなと思う。


別にロスジェネの非正規とか、ロスジェネの役職なしの人たちって、会社のために尽くしても特に本人のための利益にならないんだよね。なんとか食うために働いてるだけなんだけど、それだと生きる意味が分からなくなる。逆説的ではあるが、そんな中でやるべき仕事にこだわりを持って、「自分のための仕事」とはなんなのかを考えて自律的に働くことが生きがいを産む。


仕事というのはやらされているのと、自分がコントロールしてやることではやりがいに大きな差が生まれる。自律的に「自分はこれにこだわる」ということを決めて、仕事人としてその職業を極めるということが、ひいては辛い世の中を生き抜く力になるんだと思う。


「夜と霧」の中で引用されてるニーチェの言葉で「なぜ生きるかを知っている者は、どのように生きることにも耐える」という言葉がある。恵まれない境遇においても、自分で生きる理由を設定しておけば、誇りを持って仕事にも取り組むことができる。社会から与えられるものに期待をするのでなく、自分の方で勝手に生きる理由を設定する。そこんところのエゴの強さというのはロスジェネ世代には必要だね。

プライバシーポリシー免責事項